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日々のコンピュータ情報の集積と整理

Dr.ウーパのコンピュータ備忘録

2014年3月20日木曜日

わからないということが人間による操作の証明になる時が来るのではないか?(もう来てる?)


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投稿のための文字認識が人間の限界を超えている件という記事を以前投稿しました。

投稿のための文字認証が人間の限界に挑戦している件について
http://upa-pc.blogspot.jp/2014/03/blog-post_20.html


改めて考えてみましたが、将来的にはソフトウェアの処理能力は人間を超えるということは、人間が答えられないということが人間による操作の証明になるのではないかと思いました。



ソフトウェアの場合、大量の情報を正確に記録し、高速に情報を処理することができます。
数式の計算や情報の記憶という点では、既に人間はソフトウェアに及ばない状態です。


いずれ、ソフトウェアは人間をすべてにおいて上回る可能性があります。
そうなると、ある問題を処理した時に、その問題を処理できない(答えがわからない、答えを間違える)ということが人間であることの証明になるのではないでしょうか。

たとえば、人間であれば、生まれた国や育った場所によって保持している知識に偏りが生じています。また、その時点で把握できている情報量や計算能力にある種の限界があります。

その点を利用して、全てにおいて正しい答えを導けないということが、人間による操作である証明として利用できそうです。


しかし、これもまたソフトウェアによる不正に対処する側と、ソフトウェアで不正をしようとしている側とのいたちごっこですから、'わざと人間らしく'正しい答えを答えないということもできるわけです。


やはり、人間による操作かそうではないかで判断することには限界がありそうです。


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